

初めまして。yoshiです。
ふとした時に、「今やっていることに何の意味があるんだろう、何の価値があるんだろう?」
そう思った経験はないだろうか。ネガティブになっている時ブログ記事の更新につまずいている時は特にそう思う。
ふとしたそういう無力感や虚無感に襲われることはだれしも経験があ理ますよね。
だれも自分の貴重な命と時間を「やっても無駄なことや意味がないこと」に費やしたいと思う人はいないと思う。
だからこそ、
ふと自分がいま取り組んでいることが、「もしかしたら何の成果も生み出さないかもしれない」と思ってしまったときは先の見えない不安のどん底に突き落とされるような感覚になってしまう。
かと言って
自分のやっていることにどんな意味があるのかなんて、そんなにすぐにわかることではない。
過去の自分「ともかく動く行動する」ことで3か月後、1年後の自分を変えた


タイに来て、右も左もわからない言葉もわからない環境の中、まわりに合わせて「ただその日一日を過ごしていた。」
仕事も毎日が順調ではない。
予想外のことが次々と起こり、日本では当たり前のことがタイでは当たり前じゃない。
ストレスも疲労も蓄積して、いつの日かホームシック状態?うつ状態?におちいることもしばしばあった。
でも、10年以上たった今、その経験は血肉となり「自分を変える体験になった」
何事にもネガティブな感情にながされていた自分だったけど、ポジティブに受け取れるようにもなった。
(その当時は、今のような感情になるなんて夢にも思わなかったかもしれない)
これだけ月日が経って、やっと「ただその日一日を過ごしていた」自分がブログ運営をすると言う大きな価値を知り学ぶことができた。
そう思えば、
これまで自分がやってきた「一見意味のない思考や行動」も、
たくさん葛藤したからこそ、それを原動力にして価値を生み出す事ができるようになったんじゃないかと思う。
今の行動に、本当に価値あるものにするのは未来の自分かもしれない





今やっていることがすぐに何かの役に立つとか、大きな価値を生み出すとかはないかもしれない。
今取り組んでることの意義を見出せないこともあるかもしれない。
がんばってもなかなか目に見える成果が出ないと、無力感やネガティブな感情がジワジワと押し寄せてきて
いつの日か、その何とも言えない「感情の波」にのまれてしまう。
だけど、
今やっていることが全部点と点でつながる瞬間がくるのは、1年後かもしれないし3年後かもしれない。
それだったら「ブログ運営」も「やる意味あるのかな」と、
今この瞬間に頭を抱えて悩んでいても、無駄に時が過ぎていくだけだと気付ける。


一見意味のない行為が、数十年後の自分にとってかけがえのない大切な財産になっているかもしれない。
「意味を持たせるのは未来の自分かもしれない!」
それなら、
今自分がやると決断したことは、限界までやり遂げてみるのも悪くはない。
たとえそれで結果が出なかったとしても、その経験が無駄になることなんて一つもない。



そのことを糧に、また新たな道を進めばいい!
もちろん、
どれだけ考えても「やり抜く必要のないこと」にもぶち当たることもあるだろう。
思い切って方向転換してもいい、そのまま粘り続けるもいいどちらにせよ、何年後かには大きな価値を見出せるかもしれない!
そう考えると、
「意味があるか無いか」と考えて立ち止まってみたところで何も変わらないし何も生まない事が見えてくる。「意味」と言うのは、何年かたって環境が変わったり思考が熟成することで今の行動に、本当に価値あるものになるんじゃないかな。


自分がどんなことに取り組もうとも、少しは穏やかな気持ちを持って向き合えるような気がする。
くじけたってもいい!
時に立ち止まってもいい!
諦めるも、継続する事も「自分の未来にとって無駄な体験は一つもない!」
yoshiも1カ月間少し距離を置いてみたけど、ブログ運営を始めた時のことを思い出し
「0から1にした体験を発信して、少しでも役立てることができるなら幸せです。」